あらすじ
『母親のハードル競走』
朝
まだ空が眠っているうちに
母は目を開ける
洗濯機の回る音と
小さな寝息が
今日のスタート合図
「よーい」なんて誰も言わない
でも走り出す
一つ目のハードル
――朝ごはん
焦がしたトーストに
「これじゃない」と子どもの声
でも、牛乳を飲む口元を見れば
もう少し頑張れる
二つ目のハードル
――家を出るタイミング
靴下が片方ない
プリントが今さら出てくる
泣き声、怒る声、ため息
その全部を抱えて玄関を出る
三つ目のハードル
――仕事の顔と母の顔
「昨日の続き頼むね」
「すみません、保育園が…」
謝るたび
母の心に風が吹き抜ける
窓の外、雲が流れる
あの雲みたいに自由になりたい
そう思う日もある
でも
昼休みに届いた子どもの絵に
揺れる心が追いつく
丸い顔の横に
へたくそな文字
「ママ すき」
夕方
帰り道の空は
少しだけ母に優しい
買い忘れた牛乳
散らかった部屋
小さな喧嘩
今日の最後のハードルたち
そして夜
子どもが眠ったあと
誰も見ていないところで
母は深呼吸する
泣いてもいい
もう走れないと思ってもいい
転んでも、立てなくても
それでいい
だって、母は
賞状のために走っているんじゃない
拍手のためでも
誰かの評価でもない
ただ――
「ママ、いてほしい」
その声のために
今日も走っている
そして気づく
母親のハードル競走に
ゴールはないけれど
走る意味なら
とっくに胸の中にある
だから
明日の朝もきっと
母は立ち上がる
眠った横顔を見つめながら
静かに言う
「だいじょうぶ。今日も、走れる。」