あらすじ
人生詩集第一巻の続編です。人生詩集と銘打ったからには概略であっても私の拙い人生を記さねばなりません。25才で日本に帰って来まして、しかしその後は目的を喪失したようなズボラな人生となってしまいました。少しでも身入りのいい、見た目もいいような職にありつこうとして何回も転職してみたり、それが叶えば叶ったでこんどは女遊びや美食に走るなど、もっぱら身体の五官三昧的な生き方をしてしまったのです。ランボー行脚の跡形もないような惨憺たる有り様。しかしそんな中でも形を変えた光指向なるものは残っておりまして(ランボーが求めたものは何だったでしょうか?畢竟「最高の塔の歌」にある通りのそれは幸福、彼の生き方を以って換言するならばそれはイデア、理想との合一ということになりましょう。それが彼における光指向だったと思います)、それに対するわが身の五官の喜びを、逆らっても逆らっても陥ってしまう闇指向とするならば、両者のあまりの乖離のひどさに「何をか云わんや」という状態を甘受していたのです。要するに自律と欲望、克己と敗北の連続ですね。もしくはランボーの「酔いどれ船」の船上にまだ居たと云えばいいでしょうか。つまり堕落しても光への思慕は捨て切れなかったわけです。タンクローリーの運転手をしていた45才時に免許取り消しという惨禍に会ってしまいまして、それ以降は経済的に不如意な状態が続き、転居を繰り返して転がり込んだ先の安アパートにとんでもない連中が待っておりました。字数もあり詳述しませんが上記の乖離の有り様に因縁をつけられたような塩梅となってしまったのです。彼らはヤクザ者であり乖離どころか闇一色のような連中で、本来因縁などつけられない筈なのですが(詳しくは拙著「ドクタースイサイド」か「一葉恋慕・第一巻」をご覧ください)…。とにかくその後から今に至るなんと18年間もの長きに渡って、彼らのストーカー惨禍を被る羽目となりました。「エルム街のフレディ」のごとき私への睡眠妨害を今もし続けています。眠れなければ仕事もできず車上生活者に零落れたり、身心へのストレスの余りガンとなって死にかけもしました。実はこの頃に光そのものと思われる正覚者の教えに帰依もしたのです。光か闇か、乖離の享受は許さないとする詰問を受けているがごとき今の有り様です。
いや、前置きが長くなりました。では光と闇のブレを以下にご覧ください。