あらすじ

港の風下に立つ病院で夜勤に就く私は、機械の波形と患者の寝息に胸の拍を合わせながら、吸う、留める……吐くの拍の向こうに微かな「白い拍」を感じはじめる。ある夜、通り向かいの古書店の屋上に立つ女から、何も入れてはならないという空の小瓶を受け取る。吸気は月へ、吐気は港へ引かれる感覚に導かれ、私は耳でなく胸郭の空洞で世界を聴きはじめる。 翌夜、女に誘われ干潟へ赴くと、老船員が待ち受け、砂に聴診器を当てた私の耳へ、無数の粒の呼吸が押し寄せる。「潮は月の肺活量だ」と老船員は言う。体の空洞は自分だけのための容量ではないという気づきが、背中の奥で静かに広がる。 さらに影の深い夜、女は水鉢を掲げ、老船員は手すりで等間の拍を打つ。音も匂いも薄れ、世界の厚みが一度だけ透明な膜になる瞬間、白い拍はいったん途切れるふりをして戻り、私は空の小瓶が捕らえる器ではなく、通すための器だと知る。 明け方、私は水と空の小瓶だけを供える「同調の礼」を始め、満ち欠けごとに屋上へ通う。病室の老人が「今夜は月見がよい」と囁くたび、見上げずとも胸郭と背の膜が応える。名づけず、捕らえず、ただ通すことで満ちる空。最後の一呼吸を空へ渡し、街のすべての拍と重なったのち、私は扉を静かに閉じる。月は生きている――確かに脈打ち、呼吸している。

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エブリスタ2025/10/20
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