あらすじ

阿房宮と云うと・・先ず、秦の始皇帝の別邸を思い描きます。首都咸陽の宮殿が手狭になったため 、渭水の南側に建設を計画した巨大な宮殿。一万人が座れるほどの広さ前殿(阿房宮)が造られた。紀元前212年に着工し、始皇帝の死後も工事は続きましたが、秦帝国の滅亡と共に未完のまま終わりました。始皇帝は紀元前221年に中国を統一し、自身を始皇帝と名乗る。中央集権体制の構築、全国に文字、度量衡、貨幣を統一し、交通の整備を行う。始皇帝の壮大なプロジェクトの一つに・・童男童女500人を含む、総勢3000人の大船団の一行が日本に漂着しました。不老不死の薬草を求める為です。徐福さんは方土(呪術師)医薬、占星術、天文学に通じた学者でした。五穀の種子を持ち、様々な技術を持つ百工(技術者)を同行して居ます。上陸した各地で活躍し、農業、漁業、医療などの技術を人々に教えました。徐福さんと親しまれ、各地に神社や植物園が造られて居ます。当時日本は・・縄文時代から弥生時代に移る、過渡期でした。今日まで農耕民族として、永く続いて居るのは・・徐福さん一行と重なります。目的は、不老不死の薬草を求めるだけでしたか??始皇帝はその後、50歳の若さで死去。それから4年後、各地で反乱が相次ぎ・・紀元前206年に秦帝国は滅亡しました。徐福さん一行は、薬草を見つけても、故郷に帰る事が出来ませんでした。 阿房宮と言う名前を付けて貰って居る、食用菊を食す文化があります。青森県地方、秋田県地方です。明るい黄色の花です。ほのかな香りがあります。もってのほかと云う薄紫色の花が、県の特産品になって居るのは・・山形県です。正式名は延命楽です。石川県では、カキノモトという名前です。私の空想なんですが・・。日本海側に漂着した・・徐福さん一行と重なるんです。辿り着いたその地で、苦みの少ない品種を発見したのでしょうか。それとも、種を持って来て居たのでしょうか。阿房宮と云う名前が付いたのは・・宮殿の名を知っている、知識人でしょう。又は、親から宮殿の事を聞いて居た・・子孫なのでしょうか。明るい黄色の花です。始皇帝の壮大なロマン・・。帰ることが出来なくなった・・徐福さん一行・・。私達は皆・・郷愁・・。 、

連載情報

ウェブ小説

配信言語
小説を読もう
小説を読もう2025/10/28
  • 現在の作品阿房宮の うた