あらすじ
月の光に触れれば命を落とす――そんな「月毒」の伝承を抱く一族の末裔である「わたし」は、祖母から受け継いだ「見ない」作法で都市の夜をやり過ごしてきた。水盤を伏せ、鏡に白布をかけ、息を八・四・八で整える。昼の白は安全だが、夜の白は違う。診療所の医師は遺伝・心理・風土の各説を示し、「科学の正しさはあなたを安心させない」と告げる。「わたし」は『遅効』—水面やガラス越しに滲む白が、あとから喉を狭める感覚—を言語化し、なお生を延ばすために作法を積み重ねる。
十五夜を前に叔母から便りが届き、「わたし」は村へ戻る。広場では観光用の「月見祭」が賑わい、一族は別室で「見ない月見」を続けている。記録係の幼馴染は「うっかり見て死んだ人はいない。みなそれぞれの作法で『入って』いった」と語り、叔母は障子・和紙・鏡・水盤で「どこまでが安全か」を示す。守る作法と終える作法――同じ家に置かれた二つの部屋。
最後の夜、「わたし」は叔母の家の一室を整え、これまでの防ぎを一つずつ外す。水盤は伏せず、窓の布を半ば開け、靴は帰る向きではなく前へ。白は深くならず、ただ広がり、世界の凹凸を均す。見ることが意志であるうちに見続け、やがて意志の端がほどけたところで静かに「入る」。朝、記録は淡々と残される。「わたし」は「見ないで生き延びる部屋」を「見て終える部屋」に変え、重くない白を身に受けて、選んだ終わりに至る。