あらすじ
写真部の「わたし」と栞は、夕方の自販機で「硬貨は一度、五拍で押す」という無言の合図をつくり、ノートの「左の真ん中」に一行だけを記す習慣を共有する。暗室の赤い光、欄干の冷たさ、親指の小さなサイン――二人は呼吸と歩幅を合わせ、同じ速度で日々を刻む。だが学期が進むにつれ、栞の鞄から青いリボンが消え、予定表が増え、現像の一巻が失われる。数は乱れ、五秒がうまく数えられない日が増える。別れの朝、駅のホームで「わたし」は「三」で止まり、栞は短く去る。残された「わたし」は窓の幅を確かめながら、言葉にならない空白の前で息を失う。やがて薄い封筒が届く。青いリボンで結ばれたそれには、失くした一巻の写真と「五秒で。次はあなたが押す側」とだけ記されたメモ。家の即席暗室で像を起こすと、自販機の前で重なった指の腹が立ち上がる。光は遅れて届くが、たしかに届く。欄干の前で「わたし」はふたたび五拍を数え、ひとりで押す。ノートの左の真ん中に一行――五秒で、いまを残す。