あらすじ

​ 鈴木蓮の世界は、六畳間のモニターの中だけだった。ハンドルコントローラーを握りしめ、ハンドルネーム「RAINBOW-REN」として、虹色のコースを駆け抜ける時だけが、彼が輝ける唯一の瞬間。現実の彼は、人と目を合わせるのも苦手な、しがない引きこもりだ。  その日も、蓮はオンラインのマリオカート世界大会で、神がかった走りを見せていた。最終コーナー、圧倒的に不利な状況から、壁とライバルカートの僅かな隙間をドリフトで駆け抜け、ウルトラミニターボを発動させて大逆転優勝を飾る。チャット欄が賞賛の嵐に沸くが、蓮はヘッドホンを外し、静寂に戻った部屋で小さく息をつくだけだった。 ​「君の今の走り、もう一度見せてくれないか」 ​ 背後の声に、蓮の心臓が跳ねた。振り向くと、油に汚れた作業着を着た初老の男が、部屋の入り口に立っていた。弱小F1チーム「タナカ・レーシング」の監督、田中源蔵だった。eスポーツの大会に金の卵、いや、スポンサーがいないかと顔を出した帰り道、ゲームセンターの片隅で信じられない光景を目撃したのだ。 「F1のシミュレーターで、だ」 ​ 半ば引きずられるように連れてこられた町工場の奥。そこには、本物と見紛うばかりのF1シミュレーターがあった。おずおずと乗り込んだ蓮は、分厚いF1のハンドルではなく、愛用のコントローラーを接続してもらった。  コースは、世界最難関のモナコ。 「ゲームみたいに走ればいいんですか?」  田中は呆れ半分に頷いた。その直後、彼は自分の常識が粉々に砕け散る音を聞く。  蓮の操るマシンは、セオリーを完全無視していた。壁ギリギリを火花を散らしながらドリフトで駆け抜け、ありえない角度でコーナーに侵入していく。だが、タイムは驚異的だった。まるで、コース上にコインが落ちているのが見えているかのように、最短距離を駆け抜けていく。 「君……一体、何者なんだ」 「ただの、マリオカート好き、です」  田中は、錆びついていた夢に、再び火が点るのを感じていた。 ​ 蓮のF1デビューは、嘲笑の的だった。 「なんだあのライン取りは!」「ゲーム感覚で走るな!」  解説者たちは口を揃えて彼を批判した。だが、雨のベルギーGPで世界は蓮の才能に気づく。スリップしやすいウェットコンディション。他のマシンが慎重になる中、蓮は水を得た魚のようだった。虹色の光が反射する路面は、彼にとって走り慣れた「レインボーロード」そのものだった。滑るマシンを巧みなカウンターステアで制御し、次々と上位陣をパスしていく。 「アイテム(DRSやタイヤ交換)を使うタイミングを読むのが得意なんです。赤甲羅が来るのを予測するみたいに」  レース後のインタビューでそう語り、彼は世界中の度肝を抜いた。 ​ そして、運命の最終戦。蓮は、F1界の絶対王者「氷の皇帝」クラウス・フォン・リヒターと、年間チャンピオンをかけて戦うことになった。  レースは、クラウスの完璧な走りの前に、蓮がじりじりと引き離される展開。さらに不運が襲う。蓮のマシンにギアボックスのトラブルが発生。「サンダーを食らったみたいだ……」。だが、蓮の心は折れなかった。ゲームなら、ここからが大逆転の始まりだ。  最終ラップ。蓮は満身創痍のマシンで、クラウスの背後にぴたりとつけた。セオリー通りの走りでは、もう抜けない。 「ショートカットするしか、ない!」  最終コーナー。クラウスがレコードラインをなぞるようにイン側を締める。誰もが勝負あったと思った、その瞬間。  蓮は、さらにそのイン側、縁石と壁のわずかな隙間にマシンをねじ込んだ。タイヤが悲鳴を上げ、車体から火花が散る。極限のドリフト。それは、彼がモニターの中で何万回も繰り返してきた、最強の加速を得るための神業だった。 「ウルトラミニターボだ……!」  マシンが、ありえない加速で前に射出される。呆然とするクラウスを置き去りにし、蓮のマシンが、コンマ0.1秒早くチェッカーフラッグを駆け抜けた。 ​ ゲームの世界からやってきた異端児が、現実のレースの頂点に立った。  鳴り止まぬ歓声の中、マイクを向けられた新チャンピオンは、はにかみながら世界中に言った。 「最後のキノコ(DRS)の使い所が、うまくいっただけです」  その言葉に、サーキットは万雷の拍手と、温かい爆笑に包まれた。

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カクヨム
カクヨム2025/10/01
  • 現在の作品レインボーロードの覇者