あらすじ
(冒頭)
『エルフェンリート』と『新世界より』は、一見すると異なるジャンルに属する作品である。前者は血と暴力を鮮烈に描いた残酷劇であり、後者は静かで知的なユートピア崩壊の物語である。しかし思想的に見るならば、この二つの作品には深い共通点がある。どちらも「異質な存在を社会がどう扱うか」という問いを根底に持ち、さらに「人間が人間であるとは何か」という問いを突きつけている。そしてこの問いは現実社会においても普遍的に響き、差別、管理、自由、暴力、そして希望といった問題群と重なり合っている。
『エルフェンリート』において描かれるのは、ディクロニウスと呼ばれる存在が、人類から恐れられ、排除され、迫害される姿である。彼らは外見上の角や、不可視のベクターと呼ばれる力を持つという違いによって、ただその存在そのものが「危険」と決めつけられてしまう。幼少期から研究施設に監禁され、虐待され、殺戮の対象とされる。人間たちは自らの社会を守るために「怪物」を必要とし、その役割をディクロニウスに押し付けたのだ。だが彼らが本当に怪物であったのかといえば、決してそうではない。主人公ルーシーを見れば明らかなように、彼女は「愛されたい」「受け入れられたい」という切実な欲求を持つ一人の少女であった。人間が彼女を「怪物」としか見なかったために、彼女は人間を憎み、暴力を振るう存在に追い込まれてしまったのである。つまり怪物を作り出したのは、怪物と名指しした人間自身であった。