あらすじ

放課後の図書館。 高校2年生の石田ヒサトは、いつもと同じ南側の席に静かに腰を下ろしていた。机にノートを広げていたが、シャープペンシルを持つ手は止まったままだった。ページには数行の文字があるだけで、そこから先は真っ白。ところどころ、折れた芯の先が転がっている。どうやら、消しゴムのカバーのみが水色のペンケースに残されているようだ。  「大丈夫?」   隣に座る西本ノアが、床に転がった消しゴムを拾いながら小声で問いかけた。ヒサトは、慌てた様子で少し笑ってみせた。  「うん、ただ…えっと。思い出せなくて」  最近、彼はよく言葉に詰まることがあった。忘れ物が増えたり、授業中に立ち尽くしたり。先週は、雨の日に傘をささずにびしょ濡れで登校してきた。最初は誰も気にしていなかったが、ノアだけは静かに違和感を感じ取っていた。はらりはらりと降り積もる灰のように、音もなく静かに。胸の中に。  ある日、夕暮れの屋上で彼は打ち明けた。  「僕さ。”若年性アルツハイマー”の可能性があるって」  ノアは一瞬、意味が分からなかった。けれどヒサトの震える声が、嫌でも現実を突きつける。  「これからもっと、色んなことを忘れていくみたい。名前も、場所も、思い出も。そしてきっと…大切な人のことも」  胸が締めつけられるようだった。どうして、彼の真っすぐな笑顔がそんな残酷な病気に奪われなければならないのか。  「私が、ヒサトの記憶になるよ」  気づけばノアはそう言っていた。自然と唇から溢れた、飾らない心からの素直な思いだった。小さく震えるヒサトの手を握り、必死に笑う。眉毛のあたりに力を入れて、しっかりと目を合わせた。  「忘れてもいいよ。何度でも出会えば良いんだから。そして私はそのたびに、ヒサトを好きになってあげる」  ヒサトの目から涙が溢れた。ゆっくりとうなずき、ノアの肩に顔を埋めた。 「だとしても。このぬくもりだけは忘れたくないな。ずっと」

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エブリスタ
エブリスタ2025/10/14
  • 現在の作品君を忘れてしまう前に