あらすじ
割符のもう半分は、読者が持ってる。
司馬遼太郎の随筆集『以下、無用のことながら』に、『私事のみを』という、私にとってとても印象深い一本があります。
そこに書かれていたのが、「作家は割符を書く」ということ。
そして、「小説は、いわば作り手と読み手が割符を出しあったときのみ成立する」ということ。
ただ、その割符が一致することは難しく、だから作家は常に不安でいるのだという。
私が小説で情景を書くときにアテにしているのがこの考え方です。
すこし気が楽になるし、肩の力を良い感じに抜くことができて、実際にそうだとも思う。
もしかしたら、この考えに共感してくれるひとが、カクヨムの中にもいるんじゃないかな?
そう思って今回、この「割符」の考え方にもとづいて、自分が情景の文章を書くときに頭の片隅に置いていることを、書き留めてみました。
心に留めておくと、チョット、文章に手応えが出るかもしれない。
そういう500文字。
追伸.
いま、新たに長編小説を書き進めています。
その道中、ふと思ったことです。
これまで自分が書いてきた掌編や短編というものをちょっとふりかえってみたいと思って、ひとつそれっぽいものを書いてみました。
ぜひみなさんの感想や、創作に対する思うところ、聞かせてくださいね。