あらすじ

『隣の初恋(はつこい)』

勝手口の鍵が
朝の湯気より先に冷たく光る。
廊下は磨かれ、欅の影が揺れて、
柱時計が「ここは昔からの家」と刻む。

風鈴が鳴るたび、
隣から「ゆうくん」の声が来る。
梅干しの酸っぱさみたいに
胸の奥で小さく痛む名。

「うちの子も同然」
笑う声はやさしいのに、
敷地の砂利に一歩、また一歩、
見えない線が擦り減っていく。

合鍵の金属音は
若い日の約束をまだ信じているらしい。
「昔は鍵なんてかけなかったのよ」
——昔は、ね。今は、違う。

夏祭りの写真が
小さな画面で大きな炎になる。
焼きとうもろこしの香りが流れて、
「お似合い」と指が打つ文字。

わたしは笑顔で氷をすくい、
桶の水音に耳を沈める。
「大丈夫、わたしは家族だから」
その言葉が、一番遠い。

ある夜、わたしは線を引いた。
紙に、声に、玄関に。
センサーライトの白い目が
やさしくない事実だけを照らす。

「ごめんなさい、で終わると思う?」
問いは静かで、揺れない。
い草の匂いの座敷で、
湯呑の温かさが味方につく。

三本の新しい鍵が
掌で重みを分け合う。
ラベンダーの根に水をやると、
土は「ここから」と匂い立つ。

初恋は、風。
家族は、扉。
風は通しても、扉は閉められる。

「ただいま」
「おかえり」
——その二語が、ようやく
わたしたちの家に馴染んでいく。

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アルファポリス
アルファポリス2025/09/11
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