あらすじ
プロローグ
夜は静かに降りてくる。
ひとり歩く黒猫の足音だけが
石畳に小さく響いていた。
その名は――ムゥ。
漆黒の毛並みは夜に溶け、星のようにきらめく瞳は、幾千もの旅の記憶を映していた。
ムゥは、ただの猫ではない。
人の願いをひとつだけ叶える、不思議な力を持って生まれ落ちた存在だった。
だが、力には代償があった。
願いを叶えるたびに、人は笑顔を取り戻す。
けれども、ムゥの心には孤独の影が、深く、冷たく積もっていくのだった。
何度も転生を繰り返し
数えきれぬほどの願いを叶えてきた。
それでも彼の胸の奥には
埋められない穴が残り続けていた。
――どうして、僕だけが独りなのだろう。
――叶えるだけでは
僕は満たされないのだろうか。
ムゥは何度もそう問いながらも
旅をやめることはできなかった。
人の涙を見れば、放ってはおけない。
人の小さな声を聞けば、背を向けられない。
そして、願いを叶えたその瞬間――
人々が流す涙の温かさや、笑顔のきらめきに、ムゥの心はほんの一瞬だけ救われる。
それが、彼にとっての唯一の希望だった。
長い旅路の果てに、彼はまだ知らない。
自分自身の願いが、誰かの心によって叶えられる日が来ることを。
孤独に沈むその胸に、本当の宝物が灯される日が、静かに近づいていることを。
――これは、ひとりの黒猫が幾千の夜を越えて、やっと「愛」と「絆」にたどりつく物語。
涙と笑顔のすべてを抱きしめた、奇跡よりも優しい旅の記憶である。