あらすじ
主人公・久我沢千代は、物に込められた人の想いを「香り」として感じ取る力を持つ、心優しい令嬢。しかし、その繊細すぎる力は誰にも理解されず、名ばかりの華族という家柄と共に、彼女を静かな孤独の中に閉じ込めていた。
明治の世、久我沢家は没落し、先祖代々の屋敷さえも失う寸前となる。その窮地を救う唯一の条件として提示されたのは、素性も知れぬ相手との「契約結婚」だった。それは、ただ家を救うためだけではない。久我沢家の血筋に課せられた、ある古き魂を鎮めるための、自己犠牲を前提とした神聖な役目であった。
千代は、愛する家族を守るため、その運命を受け入れる。
婚礼の夜、彼女の前に現れた夫・鬼丸は、人間離れした美しさを持つ一方で、総てを拒絶するような冷たい瞳をしていた。彼の正体は、天下五剣が一振り「鬼丸国綱」の付喪神。幾百年もの間、人の欲望と裏切りを見続け、愛する主との死別を繰り返してきた彼の魂は、「神錆(かむさび)」と呼ばれる深い孤独と哀しみで凍り付いていた。
鬼丸は千代を、自らの霊力を現世に繋ぎ止めるための道具、「鞘」としか見ていない。感情のない、ただの契約相手として。
しかし、千代は鬼丸から漂う、痛いほどの哀しみの「香り」を感じ取ってしまう。それは、誰にも理解されなかった自分自身の孤独と、どこか似ていた。
「この人の、永い孤独に寄り添いたい」
偽りの関係から始まった日々の中、千代は不器用ながらも献身的に鬼丸の世話を焼き、彼の心の扉を叩き続ける。冷たい鋼のようだった鬼丸の心が、千代のひたむきな真心に触れ、ほんの僅かに温もりを取り戻し始めた時、二人の絆は本物へと変わり始める。