あらすじ

【 第三篇・敬身のPVが良ければ、全篇に追記を加えていく予定です 】  この本は、中国の宋の時代の朱熹という人の書いた、『小學』という本の注への注釈を意訳(超訳)したものです。正確には『小學』を書いたのは朱熹のお弟子さんがほとんどの部分を書いていて、それもアンソロジー(編著)で、それこそ名言集のような感じで、あちこちの書から思想の断片を集めています。  ただ男尊女卑です、封建制です、君主、絶対です。注釈を書いた学者さんは中村|惕斎《てきさい》という素晴らしい学者さんですが、江戸時代の元禄の人です。幕府、絶対の時代です。この本を読んで何になるのか?、私自身は、この『小學』を読んで、このままを信じていたことがありました。『菜根譚』を読んでからは、ああ、これは一つの考えなんだね、と言えるようになりましたが…、それまでは凝り固まった偏見まじりの考え方をしていたかもしれません。  そんな、影響力の強い本かもしれません。  それでも当時の思想が閉じ込められています、宋の時代が、江戸の時代が。それを今の時代に、そのままでは難しいかもしれませんが、読んで、彼らと交流することは意味があると思います。人間の性は善である、という姿勢、人間を信じ、信頼関係を五つの関係(五倫)で作ること…。人物の伝記になっている場所もあり、原文は名文です。訳者はヘボですがそれを補える力がこの本にはあります、そしてそれらの当時の思想に触れ、考えてみてください。  接点を増やしたくて、カクヨムコン10に今、参加しています、読んでくださる方がおられ、感謝しかありません。読んでくださる方のためにがんばります。  読んでくださったなら、ありがとうございます、感謝しています。あなたに、何かが残りますように。 『小學示蒙句解』中村惕斎著の超訳への緒言として… …………  【 「縦読み推奨」です。 】  【 リスタート、から読み始めることを勧めます。また中村惕斎先生の小伝は読んでいただいた方がいいですが、『小學示蒙句解』の序は意味が取れてないかもしれませんので、その後ろから読み始めていただいた方がいいかもしれません】  この書は『小學示蒙句解』の個人的な訳の試みです。手元に置いておくためのものです。  手元に置いておくためとはいえ、真摯に取り組んでいます。刊本は『先哲遺著漢籍國字解全書』の『小學示蒙句解』の冊子を使っています。主として国立国会図書館のデジタルデータに頼っています。  『小學示蒙句解』という本は、宋の朱熹という人が弟子に命じて編纂させた『小學』という本に、明の陳選という人がつけた『小學句讀』という注釈に、さらに注釈が書かれたものです。中村惕斎先生の『小學示蒙句解』の序には「元禄三年」の日付が記載されています。『小學』という本については、朱子は「旬日の功(10日ほどの功)」で読んだらいい、と語っていたそうで、当時は重要視されていなかったのかもしれません、また今の時代にはそぐわない考えも多いとは思います。  ただのち『小學』については数多くの碩学が研究され、注や翻訳をなされており、『小學示蒙句解』についても前述の『先哲遺著漢籍國字解全書』で見られる状態になっています。自分がわざわざ手を加え、ネットで公開するのは、増上慢、分をわきまえない所業かもしれません。  ただ自分が四書を読んだり、『先哲遺著漢籍國字解全書』を繰り返し読んだ時に、自分のため、人のため、文字の部分をさわって、わかりやすいようにできないかと思ったのが、この自由訳の意図です。でも誤訳が多い。  てにをはの部分を中心に触り、補足を入れたりしました。本来の名文を壊してしまったと思います。しかしこの自由訳をベースに、本文に辿り着いていただければ、と思います。  一度読んでいただければ幸いです。 ※注意点として。この訳は、『小學示蒙句解』についての訳であり、『小學句讀』については序は引きましたが、その他では『小學句讀』の注を引用しない『漢籍國字解全書』のスタイルを踏襲しています。文中で、『示蒙句解』が『小學句読』の注について論じる部分も多々ありますが、そこは原文を省いています。『小學句讀』にあたっていただくか、想像で読み進めていただければ幸いです。

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カクヨム2021/08/15
  • 現在の作品『小學』示蒙句解(私家版・超訳)