あらすじ
フランソワーズ・ベタンクール・メイヤーと家族
鏡台の朝は粉の雪
指先で弾けるパウダーの音が
祖母の研究室まで届く——
ビーカーは薄い鐘のように鳴り
香りはまだ名を持たないまま
冷たい光で頬を撫でていく
母の笑いは水面、広く明るく
社交のグラスが触れ合うたび
柑橘と白い花が立ちのぼる
娘の私は、紙の匂いのする部屋で
聖書と神話の本文に耳を寄せ
静けさの見出しを赤で引いた
家の長い廊下を渡ると
肖像画の金箔が乾いていて
歩幅のぶんだけ時が剥がれる
電話は低く、判子はまっすぐ
「守る」と「距離」を同じ掌で測り
夜のインクに言葉を沈める
相続の朝、カーテンの縁が光り
決算書の紙は氷の音をたてて
数字が背広のように私に合う
富は額面ではなく、器だと知る
肌が覚えた温と冷を
家族の制度へ注ぎ分ける
テティス——海の名を借りた器に
配当の滴り、長い投資の潮汐
議事録の端で乾くペン先
「次は席を譲ること」
椅子の革が小さくきしみ
若い背中に体温を返す
ブランドは小惑星の群れ
メイベリンの朝、キールズの宵
ランコムの夜会——
それぞれの軌道を保ちながら
同じ引力に集まり
鏡の裏で合唱する
炎の日、街に灰の雪が降り
石の喉で鐘が咳き込むと
私たちは金のしずくを運んだ
焼けた香りに重ねるように
手の匂いのする寄進を
「記憶の修復」へ
財団は、もうひとつの会社
実験台の白、工房の木肌、
孤独に灯るランプの油
賞は梯子ではなく灯台で
光は受け継がれ、
船はそれぞれに向きを持つ
夕方、ピアノの蓋を開けると
譜面の紙が息を吸い
和音はガラスの奥で澄む
富とは何かと問うより
返す道筋をもう一度なぞる
制度は時間、時間は物語
家族写真の余白には
香りが見えない文字で書かれている
指で触れるとすこし温かい
母の名香、祖父のガラス、
私の赤い鉛筆——
次の世代が読むための栞として
夜、窓を半分だけ開ける
都市の風が紙の端をめくり
遠い工場のスチームが
海の気配を運んでくる
「富は運ぶもの」
胸の内側で、静かに、同じ言葉が香る