あらすじ
私は自らを「酒好きクリスチャン」と公言する。ビールの泡に日々の祝福を感じ、ワインの香りに神の創造の豊かさを見いだす。時にハイボールの炭酸を「聖霊のささやき」にたとえ、レモンサワーの酸味を「悔い改めの刺激」と重ねて語る。
しかし、周囲からはよく問われる。「クリスチャンってお酒飲んでいいの?」――まるで十戒に禁酒の掟があるかのように。主人公は笑いながら答える。「聖書には“飲んじゃダメ”なんて書いてないよ!」と。むしろ詩編には「ぶどう酒は人の心を喜ばせる」とあり、イエス自身も「カナの婚礼」で水をワインに変える奇跡を起こされた。神は喜びと祝宴を大切にされる方なのだ。
ただし、忘れてはならないのは「節度」である。パウロが「酒に酔ってはいけない」と語ったように、飲むこと自体は咎められないが、酔いつぶれて自分を見失うことは信仰に反する。主人公はユーモアを交えつつ、自らの「飲酒ルール」を設けている。ワインは一本まで。二本目は主に相談。三本目は……悔い改めを覚悟。
お酒は逃げ場ではなく、神の恵みを味わう入り口である。疲れた一日の終わり、聖書とおつまみを前にグラスを傾けながら「今日を守ってくださってありがとう」と祈る。その祈りの場に、神は確かに共におられる。
信仰とは、教会や礼拝だけでなく、日常の食卓や晩酌の時間にも息づくもの。酒の席にさえ神の微笑みを見いだすなら、グラスの中には「福音の味わい」が宿っているのだ。