あらすじ
故里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり
『古今和歌集』奈良のみかど
○あらすじ
奈良の都には梅が咲き誇っていた。
藤原薬子は小さい頃、兄に会いに遊びに来る安殿親王のことが好きだった。
当時の安殿親王は皇族と言えども身分は低く、薬子にとっても兄の友人という身近な存在で。けれども安殿親王の父上の桓武天皇が即位し、薬子の父が亡くなった時、その身分は大きく隔たっていた。
メチャコミ風:天皇に娘を嫁がせて娘の付添で参内し宮中(職場)で娘の夫を寝取る平安不倫(言い方 本当は割と真面目な話です。
注釈:
この本の6割は妄想で、4割は史実ベースに描いているつもりです。
考証を少し特殊地点に置いているので、一応事前説明。
①藤原薬子の年齢は平城天皇の1~2歳下と想定しています。
平城天皇の出生は774年ですが、薬子の兄の藤原仲成の出生で774年説を取りました。従って薬子は平城天皇より年下です。
仲成の年齢について、764年説は『尊卑分脈』の没年47歳から逆算したもの、774年説は『公卿補任』の没年37歳から逆算したものです。
尊卑分脈のほうが資料的価値が高いのですが、尊卑分脈は14世紀後半に成立したもの、公卿補任は811年に成立したと言われる歴運記を基礎に加筆され10世紀後半に成立したとされるもので、不正確さがあるといわれるものの公卿補任のほうが古く時代が近いためです。
また、父種継が785年に暗殺された後に若年で従五位下に叙されたそうで、774年説をとると11歳ですが、764年説をとると21歳となり「若年」という言葉にそぐわないのと、当時の元服年齢で藤原家当主の息子であることを前提とすれば21歳まで無官というのは考え難いので。
藤原縄主が平城天皇の春宮大夫を勤めたのは799年とされていますから、この時点で平城天皇は25歳、薬子が23歳ほど、その長女はおそらく10歳程度の前提です。
②藤原縄主は太宰府に赴任していません。
縄主が従三位となると同時に就任したのが太宰帥であり権帥ではないこと、翌年参議と西海道観察使を兼ねていることからその身は宮中にあったと思われます。そして太宰府には大宰大弐として菅原真道が赴任しています。それからその翌年、縄主が観察使の封土支給を辞退したが許されなかったことから朝廷との関係は良好と思われるためです。