あらすじ
最初は古代中国の夏王朝に関する話を書こうとしました。夏王朝について詳しいことを何も知らないためウィキペディアで調べましたら『夏』の項目に<枕草子 夏は夜>とあります。「そうだ、清少納言が夏王朝の物語を書いたという設定の小説を書こう!」と清少納言について何も知らないくせに構想を練ったのが今更ですけど愚かだったと思います。分からないのなら手を出すな! ですよ。学識も無いのに生半可な知識で執筆を始めるから駄作になるのだと紫式部なら罵倒していることでしょう。
それでも枕草子をネットで調べて読んでみたら、面白かったので良かったです。春は、あけぼの。ここだけしか覚えていなかったので、とても新鮮でした。そして課題となる夏は、夜。このパートになるわけですが、読んでいて変だなあ~と思ったのです。枕草子は知性的な「をかし」の美世界を現出させた、みたいなことがウィキペディアに書いてあって、私もそんな印象だったのですが、月とか蛍とか出てくるのがロマンティックな素材だと感じられました。それなら源氏物語の心情的な「もののあはれ」中心の世界観と変わらないだろ! と誰にともなく文句を言いたい思いに駆られ、自分が中宮定子だったら駄目出ししているわ! と何の根拠もなく偉そうに考えます。
今になって思えば「をかし」と「もののあはれ」を対比させたのは後世の人間であって当時の読者にしてみたら月や蛍や雨を「もののあはれ」ではなく「をかし」の対象として捉えて何の文句がある! といった認識だよな~と。それに中宮定子を中心としたサロンは今っぽい表現だと根っから明るいパリピっぽい連中の醸し出す華やかな雰囲気の、私にとっては異空間/異世界という気がしますので、感覚の違いがあるのも当然だと思います。
そんなことには気づかず執筆を続けた理由の一つは、枕草子執筆の裏話に触れたことにあります。藤原道長の策謀によって暗転していく定子の運命に涙し、道長派と疑われ定子の元を去った清少納言が枕草子を書き続ける姿に悲惨な目に遭っても史記を完成させた司馬遷の執念を感じました。そして枕草子を定子が読んだことがきっかけで清少納言は定子の元へ帰ることが出来た……となれば、清少納言から定子へのメッセージが作中に記されているかも、それが【夏は夜】では! と思い込んでしまったのです。
感傷的でありながら理知的な夏の夜を書けていたら幸いです。