あらすじ
本作は、高校生が両親を相次いで失い架空の話し相手と数日の「孤独」を過ごすシーンからはじまる。電話で教師が発した孤児という響きで「俺」は境遇を自覚する。俺は行政の勧めで親代わり制度を利用する。そこで引き合わせられた人物がやきとり屋「二三舟」のマスター・中山であった。中山の店には、彼の助言を求めさまざまな客が来訪した。俺は、その助言に耳を傾け、人生を前向きに受け止めはじめた。中山は単なるマスターではなかった。静岡県出身の士族の末裔、有数の資産家、世界に孤児院を百カ所作るという夢を抱いていた。「この頃俺はできるだけ多くの時間を二三舟の手伝いに充てている。だが時給は貰わない。他に大事なことを貰いすぎているからだ。少しでも返したくてそうしている」という語りは、その後、中山が語る「中庸」や、鯛釣和尚の「人生=プラスマイナスゼロ」の考えを無意識に先取りし実践したものだといえる。その意味で俺の変化は親代わりである中山との出会いではじまったといえる。 和尚の他にも金先生や里見と接し、俺は進路を描くにまでに変化した。里見のイメージ法を取り入れ受験勉強で躍進を遂げ、合格した大学がある神戸で、豊、副住職兼学者の政数、精神科医の慶子、生涯の伴侶となる道子、養父となる村元、そして村元の仲間や家族らと出会う。交流するなかで、素朴な幸せを自覚するに至った。道場で行なった豊や少年たちへの精神的コンサルテーションは功を奏し、培ってきた「心の構造化」に自信を得る。それを療法に生かしたメソッドが完成する。 あくなき前進の影にはトラウマがあった。精神科医として働き丘の上に家も建てたが、常に身に余る幸せではないかという不安もあった。俺を愛してくれた妻に末期癌がみつかる。妻は安楽死を選ぶ。追うかたちで俺は逝った。 島の学校の始業日、女子に生まれ変わった俺は、教室で彼を「道子」だと認識するシーンで物語は終わる。