あらすじ
19歳の画学生・岳人(がくと)は、早春の街で、74歳の白川桃枝という女性と出会う。自転車に衝突されて入院した独り者の桃枝を、岳人が何かと手助けする。桃枝は知れば知るほど魅力的な、年齢を感じさせない女性だった。おばあちゃん子の岳人は、それまで若い女性に恋心を感じたことがなかった。微かにトレゾァの香りをまとう桃枝に、次第に惹かれていく岳人。
桃枝は岳人に、自分の絵を描いてもらう。桃枝の自宅に通って彼女の絵を描く。その夏が終わるころ、絵は完成に近づく。
岳人は、桃枝への膨らむ恋心を抑えきれなくなり、告白する。いさめる桃枝。
絵の仕上げの日。桃枝の家を訪問する。玄関は固く閉ざされている。手紙が一通、花桃の枝に括り付けられていた。震える手ももどかしく、薄桃色の便箋を開く。
そこには、岳人を惑わせた申し訳なさを謝り、「かつて住んでいた東京へ行く、絵はそちらに送った、大事にします、花桃の実は落ちたが、花は来春もきれいに咲く、実も付けます。桃枝」云々が書き残されていた。便箋のあいだから微かに立ち昇るトレゾァの香。
来春、花が咲き、実が生り、トレゾァの香りが庭に満ちても、白川さんが帰ってくることはない。彼女はぼくのせいで居場所を一つ、なくし、ぼくは大事な人を永久に失ったと知る岳人。トレゾァは永訣の香りだった。