あらすじ
プロ棋士養成機関「奨励会」。そこに所属する和泉は、同期の暁という圧倒的な才能の前に、一度も勝つことができずにいた。和泉は、最新のAIソフトを駆使し、寝る間も惜しんで研究に没頭する努力家だ。彼の将棋は、AIが示す評価値を頼りに、論理的に最善手を積み重ねていくスタイル。しかし、その緻密なはずの戦略は、暁の前ではいとも容易く崩れ去る。暁は、AIの評価値や定跡といった既存の価値観から逸脱した、予測不能な一手で和泉を翻弄するのだ。感想戦で理由を問うと、暁は「その方が物語が面白くなるから」と、謎めいた言葉を返すのみ。和泉には、その意味が理解できなかった。
勝利という明確な「解」を求め続ける和泉の苦悩は、光の届かない深海のように深く、暗いものだった。年齢制限というタイムリミットが迫る中、焦りと絶望が彼を蝕んでいく。負ける恐怖、そして勝者だけが全てであるという将棋界の価値観が、重くのしかかる。
そんな絶望の淵で、和泉は一人の後輩、天城と出会う。線の細い気弱な少年だが、盤を前にすると、AIの評価値など意にも介さない、自由で躍動感あふれる将棋を指す。その姿に、和泉はかつて暁に感じた「異質さ」の正体を見る。天城の将棋は、勝ち負けを超えた「楽しさ」や「美しさ」に満ちていた。
この出会いをきっかけに、和泉の心に変化が訪れる。自分が勝者になることへの執着を手放し、この稀有な才能を持つ後輩を育てることに、新たな喜びと存在意義を見出し始めるのだ。和泉は自らがAIから得た全ての知識と、そして暁との対局を通して苦悩の末にたどり着いた「物語」という概念を、天城に惜しみなく注ぎ込んでいく。それは、勝利という一つの「解」しか知らなかった和泉が、人生という複雑なパズルに対する、新たな「解」を見つけ出す瞬間だった。
やがて天城はプロになり、和泉は年齢制限で奨励会を去る。
数年後、システムエンジニアとして働く和泉は、モニター越しに天城が最年少で名人のタイトルを獲得する姿を見届ける。勝利者インタビューで、天城は「先輩に教わった『物語』を盤上で表現したかった」と語った。その言葉を聞き、和泉の心は静かな満足感で満たされる。
今、和泉はかつての同期が営む街の将棋センターで、穏やかな表情で盤に向かっている。