あらすじ
景司は、進退窮まり山へ逃げた。職を失い、金も尽き、街では人の目に耐えきれなかった。山に身を潜め、木の実や虫、魚を糧とし、霞のように生きる日々が始まる。家もなく、衣服は擦り切れ、言葉さえ薄れ、彼はまるで原始の獣のようになっていった。
だが、人の目を離れた静けさの中で、景司は生の記憶と向き合う。誰にも見られないことが安らぎとなり、同時に寂しさともなる。山中で出会う旅の老人や、偶然再会する昔の知人との言葉なき交流によって、景司は霞に守られながらも人として在ることに気づいていく。
ひとりの子どもとの出会いを経て、景司は再び人へと還る決意をし、身なりを整えて故郷へ足を向ける。村では誰にも気づかれぬまま、静かに記憶の土を踏みしめ、名も告げず、やさしさだけを残して去る。
名を持たぬ生。その足音は誰にも覚えられないかもしれない。だが、誰かの記憶の奥に、霞のようにあたたかく残る。それが、景司がたどり着いた“人のかたち”だった。