あらすじ
景司は、世間との感覚がほんの少しだけずれている会社員。几帳面で慎重で、どこまでも人畜無害。上司からの嫌味や指導にも、まるで励ましかのように受け止め、周囲を戸惑わせながらも穏やかに働いていた。
同僚の崇がある日「いじめられて辛くないのか?」と尋ねるも、景司は「えっ、僕いじめられてるんですか?」と素で答える。誰もが驚くその反応の奥には、景司なりの気づかない幸せが流れていた。
遅くて丁寧な仕事ぶりは効率重視の職場にそぐわず、変人扱いされることもあったが、次第にその慎重さが社内のトラブルを防ぎ、若手の間で「染みる生き方」として静かに受け継がれていく。
景司自身は、自分が何かを残しているとは思っていない。ただ誰かが助かればそれでええとだけ思い、湯呑みの向きを揃え続ける。
そして退職の日。送別会も表彰もないまま、静かに会社を後にする景司。その名もない振る舞いは、誰かの習慣となり、誰かの気持ちの底にそっと残っていた。
誰にも語られずとも、やさしさが咲いていた——それが、景司の青春だった。