あらすじ
地方で真面目に育った青年・景司は、東京の大学に進学した途端、ゆるやかに開花する。髪は伸び、ヒゲは生え、言葉は少しずつ冗談を含むようになる。やがて春の連休、帰省した景司のヒゲに両親は驚愕。近所の目を気にした両親は、なんと「一万円でヒゲを買う」ことに。景司は静かに売却に応じた。
ヒゲはただの毛ではなかった。景司にとってそれは、自分らしさの練習帳であり、気配の記憶装置だった。ヒゲ同好会の立ち上げ、展示会騒動、友人・久保田との会話、そして卒業、景司のヒゲは、剃られても誰かの心に生え続けた。
社会人となった景司はヒゲのない顔で職場に立つ。けれど、その気配は誰かの安心になり、かつてのヒゲという余白が他人の暮らしに静かに息づいていく。ヒゲは青春。ヒゲは記憶。そして、ヒゲは誰にも見えない誇りの形だった。