あらすじ
雨が降ると記憶が洗い流される――そんな感覚を持つ高校生・田中は、梅雨の長いある日、隣の席の転校生・水無月あおいと出会う。彼女は「雨には記憶の匂いがある」と語り、独特の感性で田中を惹きつける。やがて田中は、あおいが人の記憶を「匂い」として集めていることを知る。彼女は記憶障害を抱えており、日々の出来事をすぐに忘れてしまうが、匂いだけは鮮明に残るため、大切な人や出来事の匂いを小さなガラス瓶に集めていた。
あおいは田中の匂いも記録し始め、二人は次第に心を通わせていく。しかし、あおいは突然転校することが決まる。彼女は若年性アルツハイマーを患い、治療のため都市部の病院に移るのだった。別れの日、あおいは田中に「私の記憶をあなたにあげたい」とラベンダーの香りがするガラス瓶を託す。「私は忘れてしまうけど、あなたは覚えていて」と願うあおいに、田中は「君のことは忘れない」と約束する。
あおいが去った後、田中は彼女の記憶と匂いを胸に日々を過ごす。夢の中であおいと再会し、「匂いは時間を超える」と告げられる。実はあおいの記憶障害は「時間の障害」でもあり、彼女は過去と未来の記憶が混ざり合う中で生きていた。彼女は田中の未来の記憶も持っており、「あなたが大人になった時、この匂いで私を思い出す」と伝えていた。
十三年後、田中は香料研究者となり、ふとラベンダーの成分を分析中にあおいを思い出す。あのガラス瓶の香りは今も変わらず、彼女の存在を感じさせる。かつての教室を訪れた田中は、ラベンダーの匂いと共にあおいの声を心に聞く。「唇の奥にラベンダー」。匂いは記憶を超えて存在し、愛する人は記憶の中で生き続ける。雨が降る中、田中はもう記憶を失うことを恐れない。なぜなら、大切な記憶は匂いと共に、永遠に心の奥に残り続けるからだ。