あらすじ
松本景司は、山村の貧しい青年。
幼いころから世話になった呉服屋の娘・お咲にひそかに想いを寄せていたが、彼女はある春の日、何も告げず村を出た。
失意のなか、景司は陰膳を始める。
夕餉のたび、もうひとりのための膳を並べ、手を合わせる。
風の声、雨の音に語りかけるように、七年ものあいだ、ひとり続けた膳。
それは滑稽にも映り、村人たちの嘲りも受けたが、景司は微笑みひとつで受け流した。
そしてある日、お咲は帰ってくる。
すべてを失い、行き場をなくし、ただ「膳のある場所」へ戻ってきたのだった。
ふたりは静かな日々を積み重ね、やがて夫婦となり、誰のものでもない慎ましくも温かな暮らしを築いていく。
やがて、お咲が逝き、景司は再びひとり膳を据える。
だがその膳はもう「不在のため」ではなかった。
いつかまた来る誰かのため、風の向こうにいる誰かのため
そうして膳は、村人の間に受け継がれ、やがて「誰かの心に箸を置く」場となっていく。