あらすじ
時はいつとも知れぬ、場所も特定できぬ、どこか懐かしく、どこか不思議な町。
そんな町の片隅に、古びた看板を掲げた小さな宿屋がある。その名も「福の宿 こがね屋」。
一夜の雨をしのげればいい。
そんなつもりで立ち寄った旅人・ゴンジは、女将のおかみさんから湯をもらい、にぎり飯をいただき、縁側で月を眺めながら、ふと思う──「ここは、神様が見てた宿屋なのかね?」と。
この物語は、旅人・ゴンジと、彼を一夜迎えた「こがね屋」の人々が織りなす、人情噺である。
ゴンジは、どこから来たのか、どこへ向かうのか。それを誰も知らない。
けれど、町の人々は彼に聞いてしまう。「旅人さんかい? 旅の先では、なにが流行ってるの?」と。
ゴンジは毎回、まことしやかに語る。
ある町では、子どもたちのあいだで落語が流行っている。
ある村では、春になると桜餅を投げ合って遊ぶ祭りがある。
ある漁村では、海に願いごとを書いた貝殻を投げ込む風習がある……。
ゴンジの言葉は、嘘っぱちに聞こえる。
けれど、不思議なことに、彼の語った「流行りもの」が、後から本当にその地に広まっていく。
まるで、未来から来たようでもあり、神さまの口から洩れたようでもある。
「俺の言うことは、だいたい嘘です。でも、信じて動いた人の心が本当をつくるんですよ」
旅の先を見せるのではなく、心の奥にしまっていた願いや希望を引き出すように──
ゴンジは一夜かぎりの出逢いの中で、人の人生にそっと火を灯していく。
人を信じられなかった刺青男のケイジ。
夢をあきらめかけていた若者。
声を出せなくなった女の子。
頑なな老人。
町に根を張る女将さん──
彼らの心の扉が、ひとつ、またひとつと開いていく。
笑って泣けて、ちょっとあったかくなる。
人間っていいな。そう思える、情とユーモアが詰まった物語。
ゴンジは今日も、どこか遠くの町で誰かにこう聞かれている。
「旅人さんかい? 旅の先では、なにが流行ってるの?」
そしてまた、誰かの中に希望が芽吹く。
それが嘘でも、本当になるなら、悪くない。