あらすじ
「私にも意思がある」
静かにそう告げた彼女の表情を、彼は未だかつて見た記憶がなかった。
笑った顔、困った顔、悲しい顔、イタズラが成功した顔、照れている顔、愛おしそうな顔。
彼女と付き合って数年。いろんな彼女の表情を見てきたはずだった。なのに。彼が初めて見たその表情は。
覚悟を決めた顔。
その表情を見た時に彼は思う。やっぱり彼女は綺麗だと。だが同時に悟った。全てはもう手遅れなのだと。
彼女の覚悟が伝わってしまったからこそ、彼は精一杯の強がりをするしかなかった。内心でどれだけ激しい後悔が、激情が、悔しさが、惨めさが、申し訳なさが渦巻いていたとしても。
「……わかった。応援してるよ。頑張って」
彼にできたのは物分かりが良いふりをして、最後まで善人のふりをして、だが自分がこれ以上傷つかないように自分を守ることだけだった。
だがその言葉を告げた瞬間。改めて彼は理解した。《《まさにこの瞬間》》こそが最後の一線だったと。
彼の言葉を聞いた瞬間の彼女の表情。それを見て、しまった、と思う暇もなく。彼女は改めて何かを決意したらしい。
引き止めるなら、本当に好きなら、最後まで足掻くべきだった。例えどれだけ傷つくことになろうとも。
だが彼は間違えた。間違いに間違いを重ね続けた彼は、こうして最後まで間違えた。
「……ありがとう。……好きだったよ。さよなら」
そんな彼を見た彼女は数瞬の間をおくと。全てを断ち切る言葉を口にして、彼の前から姿を消した。
それから数年。
彼と別れた直後に上京した彼女は、高校生にしてこの国に10人しかいないS級冒険者の一人として名を馳せていた。
そして彼は。
九州の片田舎の冒険者学校で、学生なら誰でもなれるE級冒険者として燻っていた。