あらすじ
明治の風が吹き抜ける吉原。
時代の終わりとともに、花魁たちもまた静かに消えていく。
かつて“つるの太夫”と呼ばれた私は、今ではもう古株の飾り物。
煙草をふかしながら、何度も思う。
――こんな場所で、私は何を待っているのだろう。
ある日、ひとりの書生が現れた。
名は柴山洸一。薄汚れた学帽に、理屈っぽい目をした若者。
遊女を研究しているのだという彼は、私を“歴史”として見ていた。
それでも構わない、と思った。
私はもう、誰かの欲望になることに疲れていたから。
煙草の火が消えるまでの数日間、
簪のように抜けない記憶を、誰かの胸に挿せたら――
それだけで、もう十分だと。
これは、忘れられることを選んだ女と、
忘れられないものを探していた男の、
ほんの短い、春の物語。