あらすじ
私は、10代から天涯孤独で、元受刑者・元路上生活者・元精神病棟患者・元コンビニ直営店店長など、生きていく中で、様々な肩書が付きました。
私生活では、30年以上、この世に会話の相手とメールの相手が1人もいない状態です。家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なし、デート経験なし、セックス経験なしで一回きりの人生を終えました。
家族観の無い天涯孤独の男なんて、ロクな人生を送れませんね。
これは、私の人生経験(社会経験)をもとに書いた文章(詩・散文・日記・コラム・愚痴)です。
90年代から書いているので、時間の経過とともに書き換えています。
ほぼ全ての人間と合わないので、ただの独り言だと捉えていただければと思います。
この手の文章を掲載すると、日本には被害妄想者しかいませんから、必ず、どいつもこいつも不幸の背比べを仕掛けてきて勝とうとしてきます(「私の方が不幸なんだ!」「お前の不幸なんて私に比べたら大したことはない!」みたいな……。)だから、コメント欄はオフにしています。
人間関係ゼロの天涯孤独だと、この家族主義国家日本では、持って生まれた才能(外見・性格・身体的能力・知能指数(IQ))に恵まれていない限り、生きるのが困難になります。
「人は独りでは生きられない」というセリフをよく耳にしますが、それは間違いで、「人は独りでは真っすぐ生きられない」が正解です。
私と同じように、天涯孤独の路上生活から24時間共同生活の牢屋に入るとわかると思います。
そこで私は、善悪の区別すらつかず、生きる意味・気力・目的・希望を失った自暴自棄の人間から、徐々に、正常な人間へと戻っていきました。不思議なことに生きる力が漲ってきました。急に良い人生を送りたいと思えるようになり、活力が湧いてきました。その活力はとてつもないものでした。読む本が無くなったので、留置課の警察官に分厚い六法本を借りて条文を丸暗記できたレベルでした。しかも、全く集中力が途切れません。読書どころか数行しか本を読めなかった私がそんな状態になりました。自分が自分じゃないみたいでした。
そのとき初めて、人は「独り」が原因で壊れていくということを知りました。逆に「独り」じゃなかったら、活力あふれる世界で生きていられるということも知りました。
これは、私と同じ条件で生き、同じ経験をしないとわからないと思います。
世の中の人は、生まれたときからずっと、この活力あふれる状態で日々を過ごしているかと思われます。だから、「独り」の世界を、生きられない世界でなく「独りの方がいい」「普段の煩わしい人間関係から解放されたお気楽な世界」という、逆の捉え方しかできません。路上と牢屋を行き来した経験なんて言おうものなら、「努力・我慢・行動・ポジティブ・前向き・プラス思考・諦めない・強い……」などという薄っぺらい言葉を使って、それを怠った、または、そういう思考と実践が無い、と言って否定してきます。世の中の人は、自分が恵まれた環境でヌクヌクと生きているだけということに気づきませんし、「当たり前」が「当たり前」すぎて、それが無い世界がわからないのです。
私の人生経験では、この家族主義国家日本で家族観を失うと、生涯、誰とも出会えないですし、国家の制度設計上、保証人がいないという理由だけで様々な困難と制約を経験します。若い頃は全然平気でしたが、歳を重ねていくと、生きる意味・気力・目的・希望が削がれていきます。無気力と絶望に支配されてしまいます。「独り」という残酷で不可抗力の世界は、世の中の人には「努力不足・我慢不足・行動不足……」としか映りません。
この状態に長年浸っていると、最後は、死ぬか殺すかの2択しか残りません。
私は10代から独りなので、人生の後半から独りになった人とは違うと思います。
日本人は、自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族です。恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがる人しかいません。
言葉が通じないです。だから、独り言です。
※「R15」残虐描写有り・暴力描写有り、性描写は無い。
※この文集は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※この文集は、10代から天涯孤独の私(Kaede.M)の人生経験(家族崩壊、虐待・育児放棄、生涯独身に加え、元受刑者、元路上生活者、元精神病棟患者などの肩書のほか、民間企業の管理職経験など)をもとに書いているので、故意に残虐な描写を創作しているわけではありません。基本的には、事実に基づいて書いています。