あらすじ
「~してください」と言われるのが苦手です。そして、お礼をされるのも苦手です。お願いだから、放っておいてほしいと思ってしまいます。私は孤独が好きなんです。一人で暮らすのが好き。何も命令されないのが好きなんです。「~してください」と言われると「カチン」ときます。
でも、お世話になっている場所だったり、住んでいる場所、人間関係は避けられません。ずっと寝ていられたら楽なのですが、入院生活は長くは続きません。何かをしたくなって、結局退院してしまいます。これが病気なのか、脳の障害なのかはわかりません。ただ、頭が忙しくなることが苦手です。ひとつのことに集中させてほしい。でも、そう思っているときに限ってお願いごとをされるものです。例えば、「洗濯を手伝ってほしい」「珈琲を煎れてほしい」「何か食べ物をとってほしい」など、そういったことが嫌になると、私は勝手に出て行きます。
出て行けるうちはいいのですが、行く宛がないと困ります。宛先を失った郵便物のようです。まあ、結局自分の場所へ返却されるわけですが、切手代やはがき、封筒と便箋を失うのでは意味がありません。まだ、白ヤギさんが読まずに食べたほうが役に立ちます。少なくとも、飢えていた人がとりあえずは満腹になるからです。
このように、取るに足らないことでも何かの役に立てば、それはそれで幸いだと思えますが、「~してください」と言われたとき、時々その意味がわからないことがあります。「それ、私がする意味ありますか?」といった感じです。「あなたが取ればいいじゃないですか?」と、そう思ってしまう。これは私の責任能力が欠けていることを示していますが、他のことをすべてやってもらっていても、そう思ってしまうのです。
「慣れていない」んですね。人から「~してください」と言われたことがほとんどないんです。47年間生きてきて、まともに働いた職場もなく、学校にも行きませんでした。嫌なことは嫌だと言うものの、強情がたたって、年齢相応には頭が発達していません。人から何かを頼まれることがないのも、不都合であり、「生きていて意味があるのか?」と問われれば、「意味はない」としか答えられません。
何のために生きているのだろうと日々、試行錯誤しています。それでも、嫌々でも、頼まれたことはこなします。中学のころから、最悪なことが一つ増えました。それは、両親の下着を洗うことです。干すのも苦手です。それを打ち明けると、悲しそうに怒りを抑えながら、「じゃあ、お母さんもお前のは洗わない」と言われて、「こういう思いをさせるんだな」と気づきました。それからは、嫌でも何でもやることはやるようにしました。それでも嫌なことは相談します。そのたびに、今でも大喧嘩になりますが、それが親子というものではないでしょうか。