あらすじ
私は、「これ」っと決めると、「これ」ばかりを購入する。
例:のしうめ、信玄餅、コーヒーゼリーとプリン。
そして、それにプラスして、「それも」が必ずつく。
「これ」までは、購入するのも、家族や親友は許諾してくれている。そこに、「それも」や「これも」だったり、「そのうえ」などがつくと、イライラするようなのです。
『また、浪費癖が、はじまったよー。』ってな感じです。
私のお金なのだし、文句を言われる筋合いはないというのが、私の言い分だが、そうではないという。
私以外のその他大勢の意見とは、私の意見を理解できないらしい。どうしてそんなに乱費するのか?だったり、「暇さえあれば、買い物をするために、トーキョウウォーカーみてるよね。」でしたりと、攻め手には、遑がない。応接に暇なしである。
私の見解としては、そんなに他人のことに興味が沸く意味が理解できません。それは、まるで、拷問のひと時へと変貌します。
その他大勢の意見を取り入れなければ、社会はまわらないらしいのです。よっぽど暇なんですね。では、すまされないらしいのです。
そんなことをしている暇があるならば、自分のことをもっとしっかりしたら?といおうものならば、大喧嘩になります。
おそらくは、私の買い物癖が、悪いのでしょうが・・・・・・。
それでも、お買い物は楽しいのです。
人に迷惑をかけているつもりはなくても、迷惑になるならば家を出て行きますよとばかりに、勝手に住まいを変更してしまいます。それも、むかつくらしいのです。どうしたらいいのでしょうか?
それと、攻め手に困らないのは、私が同じものしか購入しなくて、毎日でもステーキが食べたいならば、飽きるまで購入します。飽きたら見向きもしません。誰かが食べるでしょ。いらなければ、捨てるでしょうしと、高を括ってしまいます。いまどき、牛肉を毎日食べれて、文句を言う家族の方が、または、友人の方がおかしいと思えてなりません。しかし、捨てるのはもったいないことも、重々承知していますが、いままでだって日本人は、輸入してまで捨てる国と有名だったじゃありませんか・・・・・・。と言い放ちます。それを、『欺瞞』というらしいのですが、、。