あらすじ

平成20年10月20日、京都市山科区の行者ヶ森で間瀬耕一の撲殺死体が発見される。 5年前彼は知多半島の常滑から妻の澄子と共に京都に移住している。彼は常滑では旧家なので、京都へは観光目的できている。 2年前に京都で歴史研究会に入会する。平成20年3月より本能寺の変について一カ月に一回会員各自が持論を主張し合う事になった。 会の主催者は冨島潤一、会の実質的な運営者である望月源之助が信長殺しは明智光秀という通説をとりあげる。これをを10名の会員に配布する。 3月に広岡直道が明智光秀単独犯行説を発表する。4月の会合では光秀単独犯行説の異論を述べ合う。 5月は高坂登と上村秋彦が朝廷陰謀説を取り上げる。6月は菊池学が秀吉首謀説を述べる。 7月は権藤昭一が足利義昭陰謀説を、8月は瓜坂舜造がイエズス会による信長暗殺説を、9月には成島守が明智光秀非犯人説を披露している。 10月は間瀬耕一の番だが殺されたため、未定、11月は日下部修一だが休止となる。 9月までの会員が発表した資料は冨島を通じて各会員に送付されていた。 しかし間瀬家にはこれらの資料が一切なくなっていた。間瀬澄子は夫が殺される当夜、夫が持って出たと推測した。これらの資料と間瀬耕一殺害と関係があるとみて、澄子は実兄の内田茂と共に各会員を訪問して、各自が発表した資料のコピーを貰う。その上で間瀬耕一との利害関係を調べるが、殺害の動機に結び付くものは見当たらない。 内田は常滑で不動産を営んでいる。仕事の事もあり、2人は一旦常滑に帰る。 平成21年2月下旬に間瀬澄子に日下部修一から電話が入る。彼は11月に発表する予定であった資料のコピーを渡したい事と、間瀬耕一について気になる事がある。事件に結びつくかどうか判らないが電話では話せないので直接会って話したいと言う。 間瀬澄子は日下部の言葉を聞いて胸の騒ぐのを覚えるのだった。

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