あらすじ

まるでサンヘドリンにてユダヤ人からの圧制を余儀なくされる肉体。名を羊という。子羊のようであり、幼子のようである。幼子とは何も知識がないものを指す。いったい彼が何を成し得たと言うのか。ヘロデにも追いやられて偽善者と扱われた羊。まさに十字架にかけられて死亡したと史実は続く。これらの史実は、四海文書である。こんにちは「ユダヤの王よ!」酸い葡萄酒と侮蔑に満ちた感情が羊を貪り食う。誰も救い手はいなかった。ただ忍耐を余儀なくされた。それが神の御心であるかのようにである。そして現在も救いは来ない。羊が鞭打たれる間に誰が救えたであろうか。「これはユダヤ人の王であるといった者(偽善者の子羊)」。三日後に蘇らなかった者。ポンテオ・ピラトはその宿営、羊の墓場をユダヤ人(実際はガリラヤ人)で覆いつくしたと記録されている。ケルブの介入は有り得ない。後にその信者が勝手に取り繕った狡猾な罠であった。羊の記録。テトラグラマトンは無能なる神であった。パピルスにきざまれた刻印は虚偽である。パピルスとは羊皮紙。烏の行水と聞いて、不快に感じたことがある。その時は、人間が至高の存在。これが頭から離れない。であるからして、人間と同じように暮らす。人間のように道具を使う。人間のように風呂へ入る。それが許せなかったのだろう。わたしは、この感情を通常よりも早めに開花させた。世の中にて、浮いた存在であった。これは間違いがない事実だろう。『人間は猿ではない。』この言葉は進化論への拒否だ。人間が猿であったならば、進化の途中であるサルがいてもおかしくはない。これが、わたしの中学生の時の思考である。もっと学術的に考えたものがある。肺魚に関しての夏休みの宿題をしていて、進化論についての記述をまとめた。毎日、水族館、図書館へと足しげく通う。その頃は、バイブルに精通しており、『聖書』がベストセラーであることを誇りに思っていた。しかし、そんな時間も人生という教訓の上では長くは続かない。永遠などはないのかも知れない。時間という概念そのものが、わたしの存在をぐらつかせた。一日24時間というはかないときの中で人間とは暮らしている。わたしだけでなく、みながそうしていることへの驚きを感じたのだ。わたしだけが、鈍行に乗り、みなは急行に乗車していると思った。これがわたしの初めての反抗期となる。通常は両親などに向かうべき気持ちが社会へと向かったのはどうしてなのか。先にも述べたように、わたしは羨ましかったのだろう。自分だけが取り残される恐怖を感じていたからだと推測できる。無能であるという者。その者もまた無能である。一度は神の道をまっとうしようとした。しかしそれが敵わないと知るや否やそれを大きく否定する偽善者が現れると羊は言ったからである。その者を羊はこう呼んだ。大いなる龍。はじめからの蛇。悪魔またサタンと。

連載情報

ウェブ小説

配信言語
アルファポリス
アルファポリス2024/03/16
  • 現在の作品虚構