あらすじ
柔らかいイメージなのではないか。生然。
生きる事を規則と照らし合わせれば、如何にもとなる。
母胎にいる間に栄養素は育まれて、赤ちゃんは大きくなるらしい。
では、母親になるのは、何時の事でしょうか。
それは、子供が生まれて、一緒に大きくなるものだと思う。
プシュケーとは魂のことだが、母胎には、大きな意味はない。
赤ちゃんは、親を選べないのだから。
湊かなえの『母性』を読み終えた。
ボタンの掛け違いは、私の頭の中のようだ。
読み終えるまで、本は裏切らない。
語り手が狂っていれば、尚、読者は『光』がない世界でも、
この娘はどうなるのだろうか。期待している。
そこに意味をみいだす、我欲にまじえて、意味を添える。
その花束こそが、人間の営みに許されている厳かな秘め事なのだろう。
さあ、来るが好い。絶望の淵よ。
母性は、『嘔吐』への生け贄に過ぎないのだから。
サルトルの嘔吐は、1938年に刊行された書物である。
人間の否定と母性の個体の否定。その歪を見てこようと思う。
それが冒険し続けることなのだから。
サルトルが課した義務にどれほど自らが貶められるのか。
母性にて心は破壊され、嘔吐にて人間性の破壊を内在的に行う。
ムクレタ面した、己が歌う。讃美歌は、潰えたようである。
さあ、来るが好い。迎合の灯火よ。迎合を打つ時よ。
我、闇にみいられし同志なり。