Synopsis

その条項を書かせたのは、夫のほうだった。 五年で子ができなければ離縁する。 両家の体裁のために入れた形式だと、夫は言った。 アドリーナは五年、侯爵夫人としてこの家を回してきた。 一族三十二家の席次を決め、招待状の敬称を一通ずつ書き分けた。 誰と誰を隣にしてはいけないかは、紙に書かずに覚えている。 書けば漏れる。 だから彼女の仕事は、どこにも記録が残らない。 夫はそれを、いつもどおりでいい、と呼んだ。 寝室の扉は、五年のあいだ一度も開かなかった。 彼女は麻糸に結び目をひとつずつ作り、その夜を数えていた。 数えていたことを、この家の誰も知らない。 五年目の朝。 鞄に入れたのは、着替えと母の櫛と、婚姻契約書の写しだけだった。 門には、彼女が自分の名で呼んだ公証人が立っている。 書いたのは夫で、履行するのは彼女である。 出ていく彼女に、夫は同じ言葉を繰り返した。 来年も同じように頼む、と。 何も起きなかった日は、何も残らない。 残らないものを、彼女は五年ぶん積んできた。 誰も礼を言わなかった。 その五年分を、今度は誰が数えることになるのか。

Serialization Info

Web Novel

Service languages
Syosetu wo Yomou
Syosetu wo Yomou08/31/2026
  • Current「五年で子ができねば離縁」と書いたのは夫です。今日が五年目の朝