Synopsis
王都の記録院で働く下級書記官、リゼットには、ひとつ変わった特技があった。
人の顔よりも、人が書いた文字を覚えるのが得意なのだ。
筆跡、紙の癖、墨の濃淡、句読点の位置。
本人ですら忘れているような小さな違いを、リゼットは覚えている。
そんな彼女のもとに、ある日、一枚の死亡届が持ち込まれた。
「この人物は、三年前に亡くなっています」
書類には、そう記されている。
ところが、その死亡したはずの女性は――昨日、王宮でリゼットと言葉を交わしていた。
しかも死亡届を書いたのは、三年前のリゼット自身だった。
記憶にない。
けれど筆跡だけは間違いなく自分のもの。
やがてリゼットは、王宮の記録には「存在しない人間」が何人もいることに気づく。
消された侍女。
二重に存在する貴族。
存在しない婚姻。
書類の上だけで死んだ人間。
そして、それらの記録を調べていくうち、リゼット自身の戸籍にも奇妙な空白があることが判明する。
「お前は、自分が何者なのか知りたくないのか?」
そう尋ねたのは、王宮文書監査官のクロードだった。
無愛想で、人を疑うことにかけては王宮一の男。
リゼットは答える。
「別に。給金が減らなければ、私が誰でも構いません」
「……普通は気にする」
「では、給金が減るんですか?」
「そこではない」
こうして、記録を読むことしか取り柄がない女と、人を信用しない監査官による、王宮の「存在しない事件」をめぐる調査が始まる。
しかし彼らが最後にたどり着くのは、単なる文書偽造事件ではなかった。
王国そのものが、ある一人の人間を「存在しなかったこと」にするために作られた制度だった。
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