Synopsis
結婚八周年の日、誠司は、私が何年も欲しいと言い続けていたホームプロジェクターを持ち帰ってきた。子供部屋から駆け出してきた悠斗は、私の腰に抱きつき、いつになく素直な笑顔を向けた。私たち三人が暮らしているのは、駅裏の古い木造アパートだ。広くもなく、冬になると窓枠の隙間から冷気が入り込んだが、それでも私は、いつか暮らしは楽になると信じていた。
「ママ、うちはまだお金に余裕がないけど、パパって本当にママのことが好きなんだね。ずっと欲しいって言ってたの、ちゃんと覚えてたんだ」
私は悠斗の頭を撫で、台所へ戻って用意していた料理を食卓へ運んだ。結婚記念日のために、普段は手を出せない和牛を買い、誠司の好物である牛すじの味噌煮込みも作った。食事の前にスマートフォンをプロジェクターへ接続すると、壁に映ったのは動画アプリではなく、機器に残されていた古いタブレットの画面だった。ログアウトされていないLINEのトーク画面が、白い壁いっぱいに広がった。
「誠司、汐見タワーレジデンスで待ってる。あの古いプロジェクターは、あの人にでもあげて。もう飽きたから」
「気づくわけないよ。役所の手続きは半年前に終わってるのに、まだ自分が俺の妻だと思ってる。八年も一緒にいたのは、絵里奈が帰ってくるまでのつなぎにすぎない」
送り主は、神谷絵里奈。誠司が「とっくに縁を切った」と言っていた初恋の相手だった。
新しいメッセージが続けて表示された。
「まずい。古いタブレット、LINEからログアウトしてなかったかも」
「大丈夫。今ごろ、あいつは喜んで記念日の夕飯を作ってる。悠斗にログアウトさせるよ」
悠斗?
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