Synopsis
私たちには生まれながらにして、タグが付けられている。
店にならぶ日用品や食品、雑誌のように。あるいは耳にプラスチックの番号札を付けられた家畜のように。
付けられたタグを追っていけば由来を知ることができる。誰が、どこで作ったのか。どこで売られ、誰が買ったのか。そして、今どこにあるのか。
こうしたトレーサビリティは個々につけられた索引(インデックス)に紐づき管理される。不良品とあらば、回収され、そのまま処理され、集団の品質は一定に保たれる。
日用品や食品にはわざわざ人が考えた番号をつける必要があるけれど、私たちにそんな必要はない。
私たちには生まれながらにして、タグが付けられているから。
いや、正確には偶然の神の御業を、人間が勝手にタグにしてしまったのだ。環境と偶然により意図されず形作られた配列を、意図して個人識別のための鑑定技術に利用した。
私たちをタグ付けされた存在に「してしまった」のは一九八五年に有名な科学誌に掲載された論文と、それを書いた若い学者だ。彼が書いたDNA指紋に関する論文は人間の個人識別を可能にしてしまった。
犯罪捜査は変わった。10の18乗分の1という神がかり的な精度の個人識別の技術は、物証を神格化した。偶然の神は科学的客観性という神に変容した。
だが、証拠を取り扱うのは神ではなく人だ。人が間違いを犯さなかったことなどない。
これは、遺伝学的手法により起きた意図的な冤罪だ。
私はこれから、一人の科学者として、DNA鑑定による冤罪事件について語ろうと思う。
つまりは、冤罪遺伝学について。
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