Synopsis
右腕の甲に刻まれた七つの星を、俺――エリオ・アルヴァレスはぼんやりと見つめていた。
この惑星、オルド・アステルでは、肉体に刻まれた星の数が個人の強さ、権力、地位、そのすべてを決める。
七統星〈ヘプター〉。
それは七つの星印を得た存在。
この世界において、俺たち人類が辿り着ける最高位である。
――いや、正確には違う。
八統星〈オリジン〉。
そう呼ばれる存在が、この世界の創造主であり、我々民に星というシステムを導入してくださった絶対者だ。
一つ星から六つ星までは、星の多寡で測られる。
強さも地位も、その延長線上にある。
だが七統星は違う。
強さでも、地位でも、権限でも、六つ星以下とは同じ尺度で語られる存在ではない。
なぜなら七統星とは、星を積み重ねて辿り着く場所ではないからだ。
オリジンから――直接授かった者のみが到達できる、この世界の頂点。
最初から格として切り離された立場なのだ。
オリジンのおかげで、世界は成り立っている。
オリジンのおかげで、平和に過ごせる。
オリジンのおかげで、俺たち七統星は誇りを持って生きていられる。
それが、父から何度も叩き込まれた教えだった。
……だからこそ。
まさかこの七つ星を失う未来がやってくるなんて、この時の俺は想像すらしていなかった。
* * *
七星会合(しちせいかいごう)。
年に一度、七統星がオリジンの元へ集まる機会。
俺が、アルヴァレス家の当主になって初めての招集である。
父が亡くなってちょうど一年弱。
正直出来のいい父親ではなかったと思う。
愛された記憶も、遊んでもらった思い出もない。
あるのは、七統星の誇りを嫌というほど叩き込まれた苦い記憶。
だがそれでも――父は、このアルヴァレス家が七統星であり続けるため、死にものぐるいで務めを果たしてきた。
七統星の家系には、それぞれ役割がある。
武力の制御。
国力の維持。
六つ星以下の星管理。
そして、アルヴァレス家に課された役割は――
〈制裁〉
罪人の粛清。
星の剥奪。
秩序を乱す存在の、最終処理。
そこに情は不要だ。
迷いも、同情も、許されない。
だから父は、常に冷酷だった。
無慈悲だった。
それが、アルヴァレス家の当主として、唯一許された在り方だったのだから。
「エリオ。お前には悪いが、今日限りでアルヴァレス家は、七統星の座から降りてもらう」
――は?
それは突然のことだった。
言葉が頭の中で何度も跳ね返る。
八統星の間。
円形の大広間。
俺たち七統星が座る巨大な円卓。
その奥にある一つの椅子に鎮座する、オリジンから放たれた冷たい一言だった。
七統星。
オリジンから直接星を授かった別格。
その座から――降りる?
「……何かの冗談ですか」
喉の奥が乾いていた。
声が自分のものじゃないみたいに軽い。
円卓の七人は、誰も俺を見なかった。
視線を逸らすでもない。
最初から、視線を向ける必要がないという顔だ。
初めて参加する会合。
開始直後に告げられた言葉に、俺の理解は全く追いついていなかった。
オリジンは、円の外の席で影のまま動かない。
それでも、視線だけが刺さる。
「冗談ではない」
穏やかな声。
怒りも喜びもない。
だからこそ、背筋が冷えた。
「だが、当然理由はある」
言いながら、オリジンは円卓に目を落とした。
「アルヴァレス家は〈制裁〉の役割を担ってきた。秩序を乱す存在の粛清、星の剥奪、最終裁定――」
オリジンはそこで一拍置いた。
「だが、前当主はそれを果たさなかった」
父。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
「……っ!?」
反射で言い返しかけて、飲み込んだ。
俺は父が七統星の務めや役割を、誇り持って背負っていたことだけは知っている。
冷たく、無慈悲で、感情を切り捨てて――そうやって七統星としてあろうとしてきた。
そんな父が務めを果たさなかったなんて、本当にありえるのか?
オリジンは淡々と続けた。
「あの者は……裁定の場で、私情を挟んだ。死罪と裁定すべき者を、裁けなかったのだ」
「……待ってください」
俺は堪えきれずに一歩踏み出した。
「父は何を……何を庇ったって言うんですか?」
オリジンは、答える。
「七統星、ノクス家の娘だ」
ノクス家の現当主――セヴェル・ノクス。
父の幼馴染ということもあり、幼い頃、何度かノクス家にはお邪魔したことがある。
俺にとっても知らない仲ではない。
「セヴェルの娘、リニエ・ノクスは七統星の次期当主でありながら、その器ではなかった。本来は――その場で摘むべき個体だった」
円卓の一角で、隣の席がわずかに軋む音がした。
セヴェルが唇を噛みしめている。
その表情だけが、妙に生々しかった。
「父は、友人の娘を裁けなかった……?」
制裁の役割を持つアルヴァレス家の当主が、その務めを自ら拒んだのか。
――いや、違う。
父は人間だったのだ。
それが許されない場所で、ほんの一滴の情を混ぜてしまった。
本来は七統星にあるまじき行為。
だが俺は初めて知った父の人間臭さに、心のどこかでは嬉しく思ってしまった。
「――だからこの手で処分した」
ひどく静かな声だった。
理解が追いつかない。
だから、
悲しいはずなのに、涙が出ない。
忌わしいはずなのに、怒りが湧かない。
言いたいことが、頭に浮かばない。
オリジンはさらに言う。
「私は、判断を誤った。裁定はお前たちである必要がない。オルド・アステルの創造主、初めからこの私がすれば良かったのだ」
そして、最後に。
「エリオ含めたアルヴァレスの姓を持つ者は、これをもって、七統星の座から降りてもらう」
円卓の当主たちは、誰も反論しない。
目を逸らす者、無表情の者、最初から興味がない者。
全員が同じ反応だった。
――そうか。
敵じゃない。
味方ですらない。
最初から、俺は機能の一部でしかなかったんだ。
「――アトロス」
オリジンの声で一人の男が立ち上がる。
七統星〈終端〉。
アトロス・ターミナ。
七統星の中でも処刑人と呼ばれる家系――まるで役割を遂行するための最低限の意識しか備えていないかのような、無機質さ。
表情はなく、怒りも、憎しみも、躊躇も、殺意さえも何も感じない。
アトロスはその場で手を振りあげる。
たったそれだけの動作で、風を切る音がした。
刃が走る気配。
あまりの唐突さに反応が遅れた。
ブシュッ――
肉の裂ける音。
熱い飛沫。
だが、それは俺のものじゃなかった。
「……すべては、私が招いた失敗だ」
セヴェル・ノクス。
その声は、ひどく老けて聞こえた。
「本当に……すまない……」
目の前で、セヴェルの身体が崩れる。
「セヴェルさんッ!!」
叫んだ声が広間に吸われた。
誰も動かない。
誰も驚かない。
――違う。
驚かないのではない。
これが正しいと、本気で思っているのだ。
父を殺したこと。
セヴェルにこんな言葉を言わせたこと。
そして、俺たちアルヴァレス家を処分しようとしたこと。
全てに対して、腹の底から熱が湧く。
ようやく理解と憎しみが追いついた。
俺は立ち上がる。
どうせ殺されるなら――
ここで、役割を……裁定を下す。
「……オリジン」
声が震えていないのが、逆に怖かった。
「今まであなたと、オルド・アステルのために、アルヴァレス家は色んなものを裁いてきた」
俺は右腕を前に突き出す。
七つの星が、微かに脈打つ。
「――次は、お前が裁かれる番だ!」
式が走った。
世界が遅くなる。
式――。
それは魔力でも、才能でもない。
このオルド・アステルに宿る、あらゆる人の記憶。
俺の足が床を蹴る。
加速。
同時に、周囲の空気が粘るように重くなる。
「速い……速度の式かっ!?」
円卓から声が聞こえた。
当然そう見えるだろう。
星は、流れ込む〈式〉の量を決める。
一つ星で百。
二つ星で二百五十。
七つ星ともなれば――十万。
俺たちは星を手にした瞬間から、それだけの『他人の記憶』を流し込まれているのだ。
七統星たちが動く。だが遅い。
処刑人の刃がこちらへ向くのが、まるで水中のようだった。
俺は円卓を跳び越えた。
一歩ごとに、世界が置き去りになる。
剣の踏み込み。
体重移動。
距離の詰め方。
全部――俺のものじゃない。
かつてこの世界で死んだ誰かの戦い方。
その記憶を、俺は借りている。
オリジンの席へ。
円の外へ。
――届く。
俺は初めて、オリジンに触れられる距離に立った。
「これは速度を速めたわけじゃない」
オリジンだけに聞こえる声で告げる。
「俺以外の時間を遅らせてるんだ!」
式法とは、式……つまり誰かの記憶を元に、一から構築した特別な能力のこと。
俺は、時間の流れそのものに触れている。
この力で、オリジンの時間を止める。
命ごと終わらせてやる。
これは裁定のために磨き続けた力だ。
――止まれ。
手応えがある。
空気が凍る。
世界の流れが固まる。
……なのに。
オリジンは、動いた。
指が僅かに動く。
瞬きが、普通に行われる。
「……なんで」
俺の声が掠れる。
止まらない。
止められない。
星が式量を決める。
式が強さを決める。
強さが秩序を作る。
それが、この世界の絶対法則だった。
八統星が、俺より強い。
それは理解している。
だが――完全に、効かない?
まるで、存在そのものが別次元だ。
そんな想定は、全くしていなかった。
「効くわけがないだろう」
オリジンは、淡々とそう告げた。
嘲笑はない。
説明だ。
「お前たちに星を与えた時点で、私への干渉が一切できない制限をかけてある」
――制限。
七統星であるがゆえの強さが、七統星であるがゆえの呪いだった。
「……七統星だから、負けるのか」
呟いた瞬間、背後の空気が裂けた。
衝撃。
次の瞬間、胸が冷たくなった。
一本ではない。二本、三本。
刃が背中から心臓へ向けて――正確に刺さっていた。
膝が折れる。
視界が傾く。
床に落ちる前に、俺は心臓に意識を向けた。
……貯めてきた。
時間の式は、本来なら自分に使うものじゃない。
理論上は可能でも、実際に試したことは一度もない。
それでも――削り取って、溜めて、備えてきた。
いつか来る、死の瞬間のために。
どこまで遡るか分からない。
本当に時間を越えられるのかも分からない。
だが、今は他に選択肢がなかった。
――そして次の瞬間、
俺の世界が白く塗り潰される。
音が遠のき、光がにじみ、熱が消える。
泣き声。
自分の声だと気づくまで、少し時間がかかった。
俺は、赤ん坊だった。
世界が巨大で、眩しくて、息が苦しい。
腕を動かそうとして、動かせない。
(戻った……? 成功したのか!?)
俺はふと右手の甲に意識を向けた。
七つの星はない。
式も流れてこない。
代わりに――俺の中に、さっきの七星会合がそのまま残っている。
円卓の冷たい空気。
オリジンの声。
セヴェルが倒れた瞬間。
背中から心臓へ突き立った刃の感触。
消えない。
薄れない。
赤ん坊のはずなのに、思考だけが大人のままだ。
目の焦点すら合わないこの身体に、あの広間の重さだけが、生々しく張り付いている。
夢じゃない。
死に際の幻でもない。
俺は確かに――あそこで、殺された。
そして、ここにいる。
時間だけが巻き戻った。
記憶は、置き去りのままだ。
――やり直せる。
やり直せるんだ。
次は同じようにはいかないぞ。
八統星、オリジン。
お前だけは、俺が絶対に許さない。
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