Synopsis

日本の始まりの地はどこなのか。これまでに多くの研究者が挑んできた謎は、これほど情報過多に見える現代においても、いまだに解明されていません。例えば中国なら、その文化の始まりを夏王朝の禹と考えた時、おおよその場所が中原といわれる華北平原の、河南省にある地域と説明することができます。それは資料が残っているからだろうと思われる人もいるかもしれませんが、中国の正史の第一に数えられる『史記』が編纂された時代からしても、禹の時代は約2000年前になります。その間の歴史は、誰かが伝えてこなければ残らなかったでしょう。伝説や神話の形に変え、伝承されてきた歴史もあります。それに対して日本といえば、最古の歴史書として有名なのは『古事記』と『日本書紀』です。これらを合わせて「記紀」といいますが、なぜ同じ天皇の御代に、この二種類の歴史書が必要だったのか。日本の始まりの地、それは記紀の記述から考えると「芦原中国」になるでしょう。芦原中国を開拓した大国主(大己貴神)が、その地を高天原の住人である天照大神の陣営に譲ったことを「国譲り」といい、その地がこの国の始まりと考えられるからです。では、芦原中国はどこにあったのでしょう。なぜ中国の歴史は次々に解明されているのに、日本の伝説は伝説のままなのか。古墳を開けないからという人もいますが、何もなければ中国の遺跡も開くことはできません。一番の原因は、その地域から出土されたものと、同様の文化を持つと考えられる人たちとの比較研究を、その人たちが何故そこに来たのか、かつて存在していた国々の事情と照らし合わせた考証が、十分にできていなかったからなのかもしれません。中国には56の民族がいて、それぞれの文化伝承を今でも検証することができますが、日本では多民族の検証が容易ではありません。しかし、日本に残された文化伝承と出土品などの特徴を、中国各地に残された文化伝承と検証していくと、わかることがありました。弊誌ではこれまでの取材から、芦原中国は蒲郡近郊、かつて穂國といわれた東三河一帯の地域にあったと考えています。なぜその考えに至ったのか、この地に残された地域伝承、発掘された出土品や遺跡古墳の特徴を、かつて中国大陸に存在していた国々の特徴とともに、中國紀行CKRM的視点で紹介します。

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